土口将軍古墳塚古墳(千曲市)
土口将軍塚古墳は古大穴神社の入り口付近に道標がありますが
403号線から迷うことなく行けます。
車は沢山川親水公園に止め谷街道を403号線に向かい歩きます。
途中に十王堂跡、一里塚跡、を通り403号線に。
民家が見えると数軒先に丸石サイクルがあります。
横にある標識から行きます。
鉄柵をあけてだいたい11くらいのカーブがあり
途中に神社を通過して薬師山に到着します。
右に行くと麓に道
左を行くと2分くらいで古墳に着きます。
前方後円墳のようですが
新緑に覆われてよくわかりません。
秋に行くといいかもしれません。
長野県史跡 土口(どぐち)将軍塚古墳
昭和48年3月12日指定
長野市と更埴市にまたがる薬師山の長尾根の先端部に立地する前方後円墳で、
昭和57年~61年まで両市教育委員会合同で、国庫補助事業により、
重要遺跡確認緊急調査が行われ、
全長67.7m、後円部径40.5m、前方部幅30.5m、後円部高8.1m、前方部高3.9mの
二段築成の構造が確認された。
墳丘構築は、旧尾根地形を削り、基盤を整えて盛土し、全面に葺石を施しているが、
この用材は周辺の山地の石英せん緑岩の転石であり、特にくびれ部の残存状況が良好である。
墳頂部と中段テラスには、円筒、朝顔形を中心に少数の形象埴輪を交えた埴輪列が巡り、
全体で約700本と推定されている。
器面に「叩き」を施した埴輪が出土しており、全国的にも類例の少ない資料として注目されている。
内部主体は、後円部中央に二基の竪穴式石室が並列して検出されたが、
破壊が著しく両石室の関係等不明部分が多い。
副葬品は鉄鏃、甲冑片、土師器等である。
築造年代は、5世紀中葉前後と推定され、森将軍塚古墳、倉科将軍塚古墳、有明山将軍塚古墳などとともに、
善行寺平の歴史を探るうえで貴重な遺跡である。
長野県教育委員会